自分が親として相応しいのかという葛藤

「自分が親として相応しいか」という葛藤

子を産む前は、私は自分のことを「平凡」だと思っていました。
「こんなに平凡な自分が、親になれないはずがない。だって多くの人が親になっているのだから」
と考えていました。
そして、親となった現在、その考えが甘かったということを実感する日々を送っています。
この記事では、どうして「親として相応しいか」という葛藤を持つのか、それにどうやって対処したらいいのか、を自分なりにまとめてみます。

なぜ「親として相応しいか」と悩むのか

どうして悩むのか、原因はこんなことがあると思います。

  • 自分の行動の影響力が強すぎる
  • 世間の目が厳しい
  • 自己評価が低い

自分の行動の影響力が強すぎる

乳幼児期の子供は親からの影響を強く受けます。生まれたての赤ちゃんは何も知らずこの世に生まれ、親から様々なことを学んで成長していきます。話し方から考え方、生活における全てにも親の影響が強く出ます。「子は親の鏡」と言いますが、正にその通りだと親になってから思い知りました。

そうして、ふと成長した子供を見ると「育て方を間違えてはいなかっただろうか」と思ってしまうのです。
もちろん親から見ると可愛い我が子ですし、悪いところなど一つもないように見えます。
でも、他人からの評価はどうだろう?これから学校へ行くようになり、人間関係で悩む時がいずれ来ます。その時、子供が悩むことの原因に、自分の育て方の影響はないだろうか。

親の影響力があまりに強くて、自分の関わり方次第でこの子の人生が良いものにも悪いものにもなってしまう、と思うと恐ろしくてたまらなくなります。
後からやり直したい、と思っても絶対に出来ないことが、また恐ろしいのです。

世間の目が厳しい

世間の目はどうしても気になります。自分自身が「人に迷惑をかけないように」「そんなことしたら恥ずかしい」と言われて育ったので、人の目を気にすることが身に染み付いてしまっているのです。
子連れで外出すると、電車ではおとなしく座っていられないし、レストランでは食事を残してしまう。真っ直ぐ歩くことすら難しい。子供は自由奔放で、親が制御できるような生き物ではありません。ですが、通りすがりの人にはそんなこと理解できませんので、「親の躾がなっていない」と言われることになります。
どんなに手を尽くして育ててきたか、と思っても、当然自分の苦労はわかってもらえません。この世間の目の厳しさに、親としての自信を奪われることがよくあります。

自己評価が低い

そもそも私は自分への自己評価がとても低いです。おそらく、それは幼少の頃から親に褒められた経験がないためかと思われます。
親になるということは、普通に誰でも問題なく出来ることだと思っていました。しかし、自己評価の低い私は度々「これでいいのだろうか」「私が母親になるだなんて大それたことを願ってしまったのではないか」と悩み、ああ、親になるって実際は途方もなく大変なことだったのか、と思い知りました。

自分の力だけで育児が出来ないのであれば、育児書を読めばいいのだ、と思い何冊かの本を読んだこともあります。確かに、育児書からはいくつか自分の育児にも役立つ知識を得ることが出来ました。でも、実際の子育ては育児書通りには行かないことの方が多く、また暗闇の中に突き落とされます。やはり、目の前の子供をよく見て、自分の力でこの迷宮を攻略しなければならないのだ、という結論に至るのでした。

育児ほど自分の力(人間力とか、忍耐力とか)を試されることは、これまでの人生にありませんでした。そして、試されれば試されるほどに自己評価の低い私には重荷で、「親として相応しいのか」という葛藤に苛まれました。

最終的に「産むべきではなかった」と悩む

こういった葛藤が行き着く先はいつも「こんな私が親になるべきではなかった」「こんな親で子供が可哀想だ」という考えです。もう産んでしまったのだから、決して後戻りは出来ません。考えても仕方のないことだとは自分でもわかっているのですが、それでも考えてしまいます。大体1日の終わり頃、疲れてくるとこういう考え方が頭に浮かんできます。
ただ、これは本当に考えても仕方のないことなので、すぐに打ち消して忘れるようにしています。

葛藤への対処

この「自分が親として相応しいか」という葛藤への対処として、以下のことを行っています。

  • 悩む時にしっかり考える
  • 「良い親」を目指す
  • 情報収集する
  • 1日で見られる子供の笑顔を数える

悩む時にしっかり考える

時々、深く悩んでしまう時があります。そういう時は、とことん悩みと向き合ってどうしたらいいのかを考えるようにしています。その時々に悩むことを後回しにしても、後で必ず同じことで悩むからです。
しかし1人で考えても良い結論には至れないので、なるべく夫とも話すようにもしています。また、Twitterでも呟くと、段々考えがまとまってきて「次はこうしてみよう」と新しい考え方も見つかるので、やはりアウトプットは有用なのだと思います。

「良い親」を目指す

「良い親」というとハードルが高く感じますが、向上心は重要です。「完璧な親」ではなく、自分に無理のない範囲での「良い親」を目指すようにしています。具体的に言うと、「自分が求めていた親」の姿です。

一番は、「子供へ笑顔を向けられる親」です。子供は保護者の笑顔に安心するものなので、とにかく自分が笑顔でいられれば良いと思っています。
次に、「子供にしっかり向き合える親」です。向き合う、というのは、「目線を合わせる」「お話をよく聞く」「一緒に遊ぶ」といったことです。子供が大きくなってくると一人でも大丈夫だろう、と徐々に向き合う時間が減ってきてしまいますが、子供がこういった「向き合い」を求めるサインを頻繁に感じるので、そういう時にしっかり向き合って要求に応えるようにしています。

このようなことを意識している、ということで自分は「良い親」に少しは近づいているはずだ、と自分で自分を褒めることもします。他人からは褒められることが少ないので、自分くらいは自分のことを褒めても良いのではないでしょうか。良いはずです。

情報収集する

自分だけの世界で育児をしていると、いつの間にか子供のためにならない育児をしていた、なんてことになりかねないので、外の世界にも目を向けるようにしています。
図書館で育児書を借りたり、SNS(Twitter等)で育児アカウントをフォローして人の呟きを読むことも情報収集になっています。
情報収集をしているといつも新しい発見がありますし、「子のために何かしている」と思うと親としての自己肯定感も少し上がります。また、親として葛藤を抱えている人も案外多いのだと知って、勇気付けられることもありました。育児中の孤独感がまた、「親としてどうなのだろう」という葛藤を産んでしまうので、SNSでの他者との交流は私にはとても良いものでした。
ただ、「自分が得たい知識」だけに目を向けるようになると、それはそれで子供にとって良くないこともありますので、注意が必要かもしれません。

1日で見られる子供の笑顔を数える

子供の笑顔の数は、親への点数にも思えます。笑顔の多い子供は、親からの愛情に満ちているのだろう、と感じます。なので、1日どれくらい子供が笑っていたか、少しでも笑っていたら、もうそれで親として100点満点だ、と思うようにします。もし、笑顔が少なかったな、と思ったら、次の日にたくさん子供を抱きしめたり、遊んだり、お話をしたりして、笑顔を引き出して噛み締めます。
子供が笑顔だったら、少なくともその時だけは親としての勤めを果たしている、と考えることにしています。

最後に

この記事を書きながら、段々と「こんなに子を思って悩んでいるんだから、親として十分なのではないか」と思えてきました。私は根がポジティブなのかもしれません。
しかし、子供が大きく育ってくるほどに育児の悩みは大きくなっています。赤ちゃんの頃は健康のことばかりで悩んでいたのに、今は子の友人関係や教育に気を取られています。育児の悩みがどんどんレベルアップしていくので、ついていくので精一杯です。
もう親になって4年目なのに、まだまだ自分なんかが親でいいのだろうかと悩んでしまいますが、悩むことも悪いことではない、向上できる余地があるのだ、と思ってこれからも日々精進したいと思います。