クリスマスプレゼントにすぐ飽きた娘と幼い頃の私

クリスマスプレゼントにすぐ飽きた4歳娘と幼い頃の私

今年2018年、娘へのクリスマスプレゼントは妖怪ウォッチエルダでした。
クリスマスから2日しか経っていないにも関わらず、4歳の娘はすでに妖怪ウォッチに飽きてしまい、そのクリスマスプレゼントはおもちゃ箱の中へと仕舞い込まれてしまいました。

自分にも経験がある「すぐ飽きたおもちゃ」

私自身にも、小さい頃にセーラームーンのおもちゃをねだって買ってもらったものの、実際にはあまり遊ばなかったという経験がありました。
欲しい欲しいと願ってやっと買ってもらえたそのおもちゃのことは、とても鮮明に覚えています。キラキラ、ピカピカと綺麗で、それまでの短い人生の中で一番嬉しいと感じた記憶があります。

遊ぶだけがおもちゃの役割ではない

しかし、現実の私はセーラームーンではなく、そのステッキが活躍する場面はありませんでした。(一緒にセーラームーンごっこをしてくれる兄弟も友達もいなかった模様)
それでも、大切に仕舞ったおもちゃを時折眺めてはうっとりしていました。子供にとって、おもちゃは遊ぶだけがその価値ではなく、「自分の物になった」という経験も良い物なのかもしれません。

それからも、セーラームーンの話を聞くとあのおもちゃを思い出します。全然遊ばなくても、私にとっては大切な宝物でした。

おもちゃにすぐ飽きても、子供を責めない

私自身、ねだってねだってようやく買ってもらったセーラームーンのおもちゃにすぐ飽きてしまいましたが、それでも親に責められることはありませんでした。そのことについては親に感謝しています。もしあの時親に責められていたら、折角の大切なおもちゃの思い出が嫌な記憶に変わっていたかもしれません。

しかし自分が親になってみて、高いおもちゃにすぐ飽きる子供の様子を見ると、正直なんとも虚しい気持ちになります。
でも、そのおもちゃは私の物ではなく既に子供の所有物となった物です。ましてやそれにかかった金額など子供には関係ありません。そのおもちゃで遊ぶか、遊ばないかは子供の自由なのです。

高いおもちゃほど、子供はすぐ飽きるという話も聞きます。だからこそ我が家では誕生日とクリスマス以外に高いおもちゃは買いません。子供がすごく欲しがるおもちゃというのも、あまりたくさんはないので、それくらいでちょうど良い気がします。

遊んでくれても、遊んでくれなくてもいいので、出来れば大切に思ってくれたら嬉しい。

最後に

以前Twitterで見たのですが、
「実在しない生き物が子どもの心に椅子を作り、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる」togetterより
と、エルマーの冒険の名訳者、渡辺茂男氏がおっしゃっていたそうです。
めちゃくちゃ良い言葉だなーと感動しました。
これと同じようなことを、おもちゃにも言えるんじゃないかなと最近思います。おもちゃを通して、人や物をどう大切に扱うのかを身につけているのかなと。
だとしたら、親にできることはただ見守ることだけだなあ、と思います。もちろん、粗雑に扱えば注意はしますが。
子供たちが将来大人になった時、大切な人や物を大切にできる人になってほしい、と願っています。